人間誰でも、周りと違うということを恐れてしまうものです。
人と違うと浮いてしまい、苦しい思いをしてしまいます。過去にそういった経験を持っている人は、特に「普通」であることの大事さが身にしみて理解できるのではないでしょうか。
この記事では、現在自分が「普通」ではないということに苦しんでいる方のために、「普通になりたい」ということを感じたときにどう考えて気持ちを落ち着けていけばいいのかを解説していきたいと思います。
変人でもいいと考え直す
どうせ人生は一度きりですので、無難に生きてしまっては仕方がありません。
法に触れてしまうような変さだと直した方がいいですが、誰にも迷惑がかからないのであれば、いっそ開き直って変人として堂々と生きていくのもいいのではないでしょうか。
変人だって、生きては行けます。しかし、もちろん生きていく道のりは厳しいものです。
変でなければなんでも穏便に解決していけますが、変で孤独だった場合は、正直言ってかなり辛い人生を送ることにはなるでしょう。
しかし、幸せに生きられなくても、自分を自分自身で肯定できれば、くじけずに明るく生きていくことができるのではないでしょうか。
自分は変人だけど、だからどうした!という鉄の意志を得るためには、自分に自信を持つことが必要です。
自分が変人であり、周りに受け入れられないと、自分に自信が持てなくなってしまうものですよね。一度そこで挫折を覚えてしまうのは、仕方がないことです。
問題は、その挫折を乗り越えられるかどうかです。変なポイントを改善することで乗り越えるという方法もありますが、変であることを自覚し、受け入れることでも同じように乗り越えることができますよ。
変人であることを自覚できたということは、自分が成長できたということ。あとは受け入れるだけですので、ほんとうにあと一歩です。
頑張って、自分を受け入れられるようになりましょう。
普通とは何か、改めて考えてみる
自分が普通ではないと気づかされたとき、普通とはどういうことかを改めて考え直してみましょう。
例えば監修や作法などで自分が変であることを知った場合はむしろ、調べてみれば世間の常識的に考えたら周りのほうが普通じゃないということだって大いにあり得ます。
もちろん、日常においては自分の身の回り=世界ですので、そこで自分が違っていたら、世間の常識的には正常でも「普通」じゃないということにはなりますが・・・。
こういったことだけでなく、世の中についてなにが「普通」なのかをじっくりと一度考えてみてはいかがでしょうか。
「普通」という概念は非常に難しいもので、地球全体で考えると普通という概念は存在しません。地域によって慣習は違いますし、物事の考え方だって違います。
そのため、普通なんてものは実は存在しません。普通じゃないということ自体が、むしろ普通なのです。
先程述べたとおり自分の周りの多数派が、自分の世界にとっての普通ではありますので、この問題の解決には至らないかもしれません。
それでも「誰もが普通ではない」、「普通じゃないのが普通」ということが考えられるようになれば、気が楽になるのではないでしょうか。
周りの人々の普通ではない点を探してみる
100%普通という人間は、絶対に存在しません。一見普通に見えても、どこかに必ず普通じゃない点があるはずです。
それを見つけられれば、もしその人達に何か嫌な扱いを受けたとしても多少は鬱憤を溜めずに済むのではないでしょうか。
普通じゃないことはなかなか他人の前では見せないものですが、きっとどこかでそれを見せるタイミングがあるはず。じっくりと注意をしながら観察してみましょう。
自分の普通じゃないポイントを長所として考え直してみる
自分が普通じゃないと気づいたら落ち込んでしまうものですが、その普通じゃないポイントは、実は長所である可能性もあります。
普通じゃないということは、その要素に特化しているということでもありますよね。スポーツ選手だって、言ってしまえば普通よりもやたらにスポーツが上手いということで、普通じゃありません。
何かのプロというものは、その分野において普通じゃないということ。つまり、変であることは才能であるということです。
普通じゃないと気づいたら、何かそれを活かせることが日常などにおいてないかどうか考えてみてください。もしも活かせる何かを見つけられれば、自分がこれまで馬鹿にされてきたり、苦しめられたりしてきた変であることがお金になります。
変であることを周りが受け入れられればいいということですから、なにかその変であることを長所として活かして、周りに見せましょう。成功すればきっと、受け入れてくれますよ。
普通になるのもいいですが、変であることをきわめて一芸にすれば、より魅力的な人物として自立することができるのです。