世の中では何かにつけて愛についての話が展開されますが、愛にもさまざまな種類があります。
そういった愛の種類を理解することによって、自分の生き方にも変化が表れてくるのではないでしょうか。
この記事では、愛の種類について哲学的な観点から、そしてなおかつわかりやすく解説していきたいと思います。
エロス
情熱的な恋愛と称されるエロス。これは世間一般的なイメージの愛に近いもので、いわゆる性的衝動であるリビドーを異性愛に限定したものとされています。
相手に自分の理想があるというものがエロスで、とりあえず1人相手がいれば満足であり、ほかには何もいらないという性質のものになります。
説明しただけではどことなくいかがわしいイメージを持ってしまうかもしれませんがけっしてそういったことに限られはせず、文学的な愛であり、ロマンティックとも称されています。
エロスは愛の種類ですが、どちらかというと恋に近い性質を持っています。また、自己中心的な他者への愛がエロスともいわれます。
何しろ情熱的な恋愛ですので、愛が激しく燃え上がっていくという過程がエロスと言えるでしょう。
現在誰かと激しい恋愛をしている真っ最中ということであれば、それはエロスに該当すると考えていいのではないでしょうか。
アガペー
アガペーは博愛主義に根ざす利他的な恋愛とされるもので、エロスが2人の世界に生きたいというような排他的な愛の形であったのに対しアガペーは地球のすべて、あるいは宇宙に生きるすべての命に対する愛といった内容です。
つまり、エロスとはまったく反対の性質を持っていて、なかなかここにたどり着ける人はいないタイプの愛の種類ですね。
なにしろすべてを愛せなければいけませんので、自分を脅かすような存在でさえも愛する必要があります。
いわばイエス・キリストのような存在にしかなかなかこの境地に至ることはできないでしょう。
事実、アガペーの原義はキリストであり、その「神の無償の愛」がアガペーにつながっています。
キリストは最終的に自分の愛する人間たちによって処刑されてしまうわけですが、こうした自己犠牲さえもいとわない、誰か一人でなくすべてへの愛というものはなかなか得られないものでしょう。
ちなみにこの境地に至ることができる人がほとんどいないためか、近年では誰か一人を愛する場合でもそれが相手のことをしっかり考えていたり純粋であったりすればアガペーに該当するということになっているようです。
ストロゲー
ストロゲーは友愛的な恋愛と言われるものです。
友愛というと友との愛ですよね。しかし、単に友達への愛がストロゲーと称されているわけではありません。
ストロゲーは性衝動的な愛ではなく友人関係のような、友情的恋愛関係を意味します。そのため、例えば夫婦が何十年も連れ添ってきて激しい恋愛感情が落ち着いた状態はもうエロスではなくストロゲーになっていると考えられるでしょう。
意味はこれだけではなく、友人から徐々に恋人に発展していったケースや親子愛もストロゲーとされる場合があります。
マニア
鉄道マニアや映画マニアなど、何かしらの趣味に熱中している人はマニアと呼ばれますよね。近年ではどちらかというと「オタク」と言われることも多いものです。
マニアという言葉はもともと躁鬱の「躁」を意味する言葉となっており、つまり愛の種類としてのマニアは支配的な愛の形を意味しています。
躁状態でとにかく自分の思い通りに愛を実現したいと熱狂している様子がマニアということですね。
たしかに、オタク的な意味でのマニアもこのような意味合いが強い扱われ方をしています。
愛の種類としてのマニア的行動が行き過ぎるとストーカー化したり、相手にいたずら電話をしたり罵倒したりといった過激な行動に至ってしまいます。マニア的愛には注意が必要ですね。
自分が現在マニアの方向に行っていると感じたら、思いとどまりましょう。
ルーダス
ルーダスは遊戯的な恋愛と言われています。これはどういうことかというと、恋愛の快楽や刺激に楽しみを見出すタイプの愛ということです。
つまり相手をすぐに代えていくタイプの人は、このルーダスに該当します。
相手個人にそれほどこだわりがなく、単に自分が行うゲームのターゲットとして見ています。
ただし100%困ったこととは言い切れず、マニアのように相手を支配しようとまでは考えていないのがルーダスです。
あくまで遊びということで、自分中心ですが特に相手を陥れて悲しませようという悪い感情もないのがルーダスですね。
プラグマ
プラグマは、実利的な恋愛です。これはどういうことかというと、相手と恋愛をすることによって自分に何の得があるのかを考えるタイプの愛ですね。
恋愛の際に相手の社会的地位や過去の実績、顔などをやたらと見定めるタイプの人は、このプラグマに当てはまるでしょう。