丙午(ひのえうま)をご存じですか?
午は、干支の午年のことです。
日本には、出生率が異様に下がるという年が60年に一度訪れていました。
特に女の子が生まれることに対して、警戒されていたようです。
なぜ、丙午を日本人は嫌がっているのでしょうか?
丙午とは
支は、十二支を指し、なじみのある「子丑寅卯辰巳午羊申酉戌亥」の12種類のことを言います。
一方、干は十干(じっかん)のことで、「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の10種類あります。
これを組み合わせると60通りになります。
甲子、乙丑・・・となり、丙午は43番目に当たります。
つまり、十二支は12年周期ですが、干支は60年周期となります。
60歳を還暦というのは、干支が元に還ることを表しています。
さて、丙午についてですが、これは中国の干支を使った占いに起因しています。
これは、五行と言われる「木火土金水」に干支をそれぞれ当てはめています。
十干では丙と丁が、十二支では巳と午が火に当たります。
丙が丁より先にある火の兄であること、そして午は方位で真南であることから、丙午の年は火災が多く、災いの年であると、中国では昔から信じられていました。
現代においても火事は恐ろしいものです。
しかし、今の日本の街で火事が起きてしまったとしても消防車がなんとか鎮火してくれますよね。
一方、昔の人にとっては、火事は街を焼き尽くす恐ろしい存在でした。
この思想が日本にも伝わりましたが、次第に丙午が厄年であることよりも、丙午の女性は気性が激しく、夫を食い殺すという俗説が広まっていきました。
占いにより火の属性は気性が激しいということもありますが、その背景には、江戸初期に起きた八百屋お七の放火事件があるとも言われています。
激しい恋心の末に、江戸の町に火を付けるまでに至ったお七が、丙午の女性だったという説があるのです。
実際のところ、お七が丙午だったかどうかの真偽は、不明です。
しかし、火に纏わる事件と、恋に盲目となった女性の激しさが衝撃的であり、火の激しい気性を持つとされる丙午の女性に対する恐怖へと、次第に結びついていったのではないかと考えられます。
お七を題材にした最初の小説は井原西鶴の好色5人女でした。
もしかしたら、火事と女性の激しさを恐れる男性を中心に(?)、丙午の女性への迷信は誕生していったのかもしれません。
丙午の年
最近の丙午は1966年で出生数は136,097人、出生率は1.58でした。
ちなみに前年の1965年の巳年の出生数は182,370人で、出生率は2.14でしたので、かなりの落ち込みと言えます。
丙午の翌年、1967年の羊年は出生数193,565人、出生率は2.23と回復しています。
マスコミの影響もあって、明らかに丙午の年は出生数が激減していました。
2015年現在の丙午の女性は、1966年生まれの49歳の方達、もしくは1906年生まれの109歳の方達です。
次の丙午は1966年の60年後、2026年になります。
周期から行くと、1世代挟んで祖母と孫で重なる可能性がありますね。
おばあちゃんと女性のお孫さんの話がありますので、ぜひご覧ください。
丙午生まれの根性
丙午の有名人
芸能人の方では、安田成美さん、鈴木保奈美さん、小泉今日子さんが丙午のようです。
また、秋篠宮妃殿下、紀子様も丙午だそうです。
皆さん、子育てや生き方に自分らしさを持った、素敵な女性ばかりですね。
情報が少なかった時代は、根拠のない迷信に振り回されることも多かったでしょう。
しかし、多くの知識を享受することができる現代、迷信など気にせずに、次の丙午の女性たちも輝いていってほしいと思います。